約100年前の太陽黒点観測が最新天文学に貢献
「長野県の旧制諏訪中学校の教師、三澤勝衛の約100年前の太陽黒点観測が最新天文学に貢献
~太陽活動の長期変動復元の向上へ~
はじめに
「長野県は宇宙県」連絡協議会(代表:大西浩次(本校教授))では、「長野県は宇宙県」をキーワードにした諸活動を行っています。 その活動の1つが、2019年より進めている研究者と市民との協働作業による長野県の100年間の天文に関わる文化的活動を明らかにする天文文化研究会です。 この度、この最初の科学的成果として、「1921-1934年の三沢勝衛の黒点観測:ウォルファー-ブルンナー遷移期の主要参照資料(Katsue Misawa's sunspot observations in 1921-1934: a primary reference for the Wolfer-Brunner transition)」 というタイトルで王立天文学会月報の2023年12月に掲載されます。 なお、三澤の黒点スケッチはデータベース化され、オンラインで閲覧可能です。
三澤勝衛の太陽黒点スケッチの例(1929年12月1日~12月5日)
三澤勝衛の黒点スケッチの例。1929年12月12日と同21日の事例。三澤(1936, pp. 138 & 142)より。
研究のポイント
約100年前、三澤勝衛による1921年から1934年までの太陽黒点観測の記録が、世界的に長期観測データの整備が進んでいない期間のデータ状況を改善し、太陽活動の長期変動の理解のための根本データの改良に役立つこと示しました。
研究の背景
現代のようなデジタル社会では、太陽面爆発に伴う宇宙天気予報、太陽活動の長期変動、太陽ダイナモメカニズムの解明、あるいは、太陽活動による地球気候への影響など、様々な分野において定常的な太陽活動のモニターが大変重要となっています。 この参照データとして、1610年のハリオットから今日まで4世紀以上続く太陽黒点観測を元に作られた国際太陽黒点相対数が使われています。 この指標に最新の数理モデルや観測知見を当てはめることで、過去の太陽活動の復元や将来の太陽活動の予測が行われています(Clette et al. 2014, 2023; Mathieu et al. 2019)。
しかし、根本指標である国際太陽黒点相対数の時系列は、複数の異なる性能の望遠鏡を用いる別々の観測者のデータを較正したものであり、未だにデータの較正結果は研究によって少なからず齟齬が見られます。 このため、過去4世紀の黒点観測の原典の調査研究に基づき、国際太陽黒点相対数の改定作業が進行中です。 このような研究においては、複数観測者が交代で仕事を受け持つ期間観測所以上に、同一個人観測者によるより均質性の高い観測データが重要な役割を果たすことが知られています(Clette et al., 2014; Svalgaard and Schatten, 2016; Hayakawa et al. 2020, 2023)。
特に、第1次世界大戦から第2次世界大戦直後の間は、国際太陽黒点相対数に使用されている観測データについて、基幹観測所(チューリッヒ天文台)以外の元データが現状残っておらず、この期間の黒点数再較正には、独立観測者による長期観測が必要となっていました。 一方、信州では三澤勝衛が本邦で始めて数年以上にわたって太陽黒点の継続観測(1921年~1934年)を行ったことが知られていますが、この観測データはこれまで国際科学コミュニティでは利用されていませんでした。
これを受け、「長野県は宇宙県」連絡協議会(代表:大西浩次)では、長野県諏訪清陵高等学校三澤勝衛先生記念文庫に保管されている三澤勝衛の太陽黒点観測データのスキャン、数値化、分析などを、陶山徹(長野市立博物館)、早川尚志(名古屋大学)氏を中心に、長野県内の多数の博物館関係者や諏訪清陵高等学校OB、「長野県は宇宙県」の市民研究者や「市民科学プロジェクト」による専門家などの数多くの方々と協働で行い、解析やその科学的価値を定量評価しました。 今回の成果は、この協働による最初の科学成果ですが、今後もこれらのつながりにより、県内資料の整理や調査を進めていくことを考えています。
研究の成果
現在、長期的な太陽変動に関する参照データとなる国際太陽黒点相対数の改定作業が行われています。特に、第1次世界大戦から第2次世界大戦直後の間は、国際太陽黒点相対数の元データがスイス国内のものを除いて体型的に保管されておらず、この期間の改訂作業には、独立した観測者による確認・再較正が必要です。 そこで、旧制諏訪中学校の教師であった三澤勝衛による1921年から1934年の太陽黒点観測の記録が貴重になります。検討の結果、彼は、ひと月あたり25.4日間という高頻度の観測を行っていたことがわかってきました。本研究では、三澤勝衛の観測記録をスキャン、デジタル化し、彼の太陽黒点相対数と現在の国際太陽黒点相対数(第2版)と比較し、その安定性を評価しました。 その結果、観測期間に渡る長期安定性が確認され、長期的な太陽変動に関する参照データとして重要な観測記録であることが分かりました。同時に、三澤勝衛の観測データで、チューリッヒ天文台の基幹観測者の交代時期(1925年から1928年)にあるずれに課題が残ることもわかりました。この変遷期のずれの解明が今後の改訂作業で重要な研究テーマであることも明るみに出ています。
参照文献
Clette, F., Svalgaard, L., Vaquero, J. M., Cliver, E. W. 2014, Space Science Reviews, 186, 35.
Clette F. et al. 2023, Solar Physics, 298, 44 https://doi.org/10.1007/s11207-023-02136-3
Hayakawa H., Clette F., Horaguchi T., Iju T., Knipp D. J., Liu H., Nakajima T., 2020, MNRAS, 492, 4513.
Hayakawa H., Suzuki D., Mathieu S., Lefèvre L., Takuma H., Hiei E., 2023, Geosci. Data J., 10, 87.
Mathieu S., Von Sachs R., Ritter C., Delouille V.. Lefèvre L., 2019, Astorophys. J.,886, 7.
Svalgaard, L., Schatten, K. 2016, Solar Physics, 291, 2653.
研究の詳細
研究の詳細はこちら
・信州諏訪の三澤勝衛の約100年前の太陽黒点観測が太陽活動モニターの基礎資料に(PDF)
https://uchuuken.jpn.org/press/2312misawa/syousai.pdf
■本研究について
本研究は、人間文化研究機構 創発センター基幹研究プロジェクト「横断的・融合的地域文化研究の領域展開:新たな社会の創発を目指して」国立国語研究所ユニット「地域における市民科学文化の再発見と現在」 (H421042227)、および、日本学術振興会科学研究費補助金JP20K20918, JP20H05643, JP21K13957, JP22K02956(基盤研究(C)「市民科学として読み解く「長野県は宇宙県」の天文文化」PI:大西浩次)の支援を受けておこなわれました。
論文情報
雑誌名:Monthly Notices of the Royal Astronomical Society
論文タイトル:Katsue Misawa's sunspot observations in 1921-1934: a primary reference for the Wolfer-Brunner transition
著者:早川尚志 (名古屋大学), 陶山徹(長野市立博物館), Frédéric Clette(ベルギー王立天文台), Shreya Bhattacharya(ベルギー王立天文台), Laure Lefèvre(ベルギー王立天文台), 大西浩次
DOI:10.1093/mnras/stad2791
URL: https://doi.org/10.1093/mnras/stad2791
【用語解説】
三澤勝衛について
三澤勝衛(1885‒1937)は長野県更級郡三水村今泉(現長野市信更町)出身で、諏訪清陵高校の前身、旧制諏訪中学で地理を中心に教鞭を執りました。独自の風土論を提唱し、地理学者として業績を残しています。また、国内でも最初期の太陽観測者の一人です。
三澤の地理授業は、教科書を使わない独自の内容でした。準備に多くの時間を費やし、最新の学術研究について自ら学び、また自身による調査研究のデータを用いた授業を行いました。「地理通論」の授業では、年間を通じて天文学を扱い、太陽黒点観測のきっかけとなりました。
諏訪中赴任の翌年の1921年から左目失明の1934 年末までの14 年余の継続的な太陽観測を行いました。当時の長期継続観測は、世界でも希少なものでした。
諏訪清陵高校三澤勝衛先生記念文庫について
ご遺族から寄贈された三澤勝衛氏の著書・論文、原稿、写真、フィールドノート、太陽スケッチなど、地理研究・天文研究資料の他、蔵書約1万2千冊を所蔵しています。昭和40(1965)年、同校同窓会により校内の一角に設置されました。
三澤氏の研究精神の継承を願い、学内外の利用者を受け入れています(要問合せ)。現在の建物は、昭和62(1987)年、校舎の全面改築にともない移転新築されたものです。
所在地:〒392-8548 長野県諏訪市清水1-10-1 長野県諏訪清陵高等学校内
■本研究に関する様々な活動について
「長野県は宇宙県」について
長野県は、平均標高と平均居住標高とも日本で最も高く、文字どおり宇宙に一番近い県と言えます。また、美しい星空が多くの場所で見ることができます。 近年、長野県では、「長野県は宇宙県」をキーワードに「宇宙」を観光・教育資産として活かしていく活動を進めています。この宇宙県の活動により、研究者、観測所、社会教育施設、天文同好会、天文家、観光施設、宿泊施設などの横のつながりが生まれています。
本研究において重要な三澤文庫の資料調査は宇宙県のつながりによって進められてきました。今後もこの宇宙県のつながりを生かして活動を進めていこうと考えています。
宇宙県の詳細については、「長野県は宇宙県」ホームページをご覧ください。
https://uchuuken.jpn.org/index.html
「市民科学プロジェクト」について
市民科学プロジェクトとは、人間文化研究機構 創発センター基幹研究プロジェクト「横断的・融合的地域文化研究の領域展開:新たな社会の創発を目指して」国立国語研究所ユニット「地域における市民科学文化の再発見と現在」のことです。
市民科学プロジェクトの詳細については、市民科学プロジェクトホームページをご覧ください。
https://shiminkagaku-pj.org/
現在、この市民科学プロジェクトにおいて、諏訪を中心とした長野県内における市民科学に関する研究を進めています。昨年度(2022年度)は、国内最古の市民による天文同好会とされる諏訪天文同好会について調査を進め、企画展を実施しました。今年度(2023年度)は、アマチュア天文家による変光星と太陽の観測をテーマに据えて、調査や展示、講演会を実施しました。 これらの活動の中でも三澤勝衛の資料は重要な役割を果たしています。今後は、天文学だけでなく、地理学の観点からも三澤勝衛を研究対象としていく予定です。
「市民科学として読み解く「長野県は宇宙県」の天文文化」について
日本学術振興会科学研究費補助金JP22K02956(基盤研究(C)「市民科学として読み解く「長野県は宇宙県」の天文文化」PI:大西浩次)は、「長野県は宇宙県」を合言葉として、市民と研究者の協働で、「市民科学によって天文文化はいかに誕生し、何を生み出してきたか」という問いを明らかにすることを目標に研究を進めています。特に、「市民科学」という用語が無かった時代の市民の諸活動(天文観測や自然保護運動や光害防止活動)を見直す事で、「市民科学」のプロトタイプの多様性を調査し、これからの「市民科学」の新たなモデルの提示を目的としています。
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-22K02956