一生の宝物
竹内 志帆さん 環境都市工学科5年
高専に行こうと決めたきっかけは?
元々、兄が高専に在学していたことがきっかけで高専を調べたところ、自由な校風と多様な部活動・同好会、普通の高校では体験できないような盛大な学校祭に惹かれて受験しました。また、大学に行かなくても大手の有名企業に就職できるところがすごいなと思いました。
環境都市工学科に決めた理由は何ですか?
体験入学やパンフレットなどで環境都市工学科の授業内容を見て、自分が一番勉強についていけそうだなと思って決めたのが正直な理由です。入学して勉強するうちに、今まで不思議とも思わないような当たり前にある構造物や建築物は、長い設計の過程を踏んで出来ているんだ。と考えるようになり、知識がどんどん広がっていくのが嬉しかったです。また、様々な知識を得てから、現場研修でダムや工事現場などへ行くと見方が変わりました。他学科より授業・レポート・テスト数は多かったけれど、私は環境都市工学科で5年間学ぶことができて良かったなと思っています。
部活動の思い出
部活動は野球部のマネージャーをしていました。私の高専生活は野球部なしでは語れないくらい1~3年生まではほぼ毎日部活動があり、家族よりも野球部員の方が一緒にいる時間が長かったと思います。4,5年生になったら高専大会に出場し、5年生の時は地区大会で優勝して全国大会に行きました。
1~3年生の頃は勉強との両立が少し大変でしたが、テスト1週間前になると部活がお休みになったので、友達(ダムの写真の左:山本理央さん)と一緒に勉強して分からないところは1から細かく教えてもらいました。他にも、大会で出られなかった授業のノートを見せてもらったりと、本当に山本理央さんには感謝しかないです。
大変なこともたくさんありましたが、野球部のマネージャーになったおかげで、野球部員とはもちろん、他の部活のマネージャーさん(先輩も後輩も)や、先生方とも仲良くなれたので、野球部のマネージャーになってよかったなと心から思います。
学校行事の思い出
やっぱり工嶺祭です。特に、5年生の時の最後の工嶺祭は一生忘れないと思います。私は、3年生のときに先輩に誘われて工嶺祭実行委員会に入り、5年生の時は総務局長という立場で執行部と呼ばれる実行委員会を統括するところに所属していました。想像の倍以上の仕事量と大変さに何度も心が折れそうになりました。工嶺祭1か月前に入ると毎日ハプニング続きで、どれだけ柔軟に対応できるかを考えて行動していました。当日はやるべきことはしっかりとやって、東京2020パラリンピック男子車いすバスケットボール代表の藤沢選手とのトークショーや5年女子のダンスのステージなど楽しむところではしっかりと楽しみ、思い出に残る工嶺祭になりました。
近年はコロナウイルスの影響で通常開催が難しくなっていますが、私が1、2年生の時に経験した工嶺祭は、屋台や人との距離を気にしないクラス企画など本当に誰でも楽しめるものばかりだったので、いつか通常開催ができることを願っています。
長野高専の学校行事は工嶺祭のみならず、クラスマッチ・研修旅行・スケート教室・スキー教室などたくさん楽しいことがありました。
後輩のみなさんへ
今、自分のやりたいことやなりたいものが分からなくて迷っていてもそれは全くおかしいことではありません。とりあえず高専に来てみた、という人は私みたいにいろいろなことに挑戦するべきです。長野高専はどんなことにでも挑戦できる環境が整っています。私は3年生の時、もっと視野を広げたいと思い海外研修でベトナムへ行き、今まで知らなかった世界を見て自分はまだまだ知らないことがあるんだなと実感しました。それからはもっと色んなことを経験したいと思うようになって、無事進路も決まり、これからまた新しい生活が始まります。
また、高専での出会いは一生ものだと思います。私はこの5年間でできたつながりをこれからもずっと大切にしていきたいと思っています。
ベトナムでの海外研修にて 日本語学校の生徒さんたちと
(2022年3月掲載)